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アメリカを特色づけるものとして、「公正、フェア」の精神も忘れられない。何事につけても、アメリカ人の判断基準はフェア、公正であるかどうかである。貿易問題でも、アメリカ側からすれば、日本の農産物市場が閉鎖的でアメリカの農作物を拒んでいるのに、車やエレクトロニクス製品などを日本かアメリカで自由に売るのはフェアでないという主張になる。原爆投下に反対したアメリカの海軍次官は、無通告で投下するのは、日本の奇襲と非難していたパールーハーバーと同じで、フェアの精神に反するとした。アメリカに住むことになった日本人の子どもか、もっとも早く、自ら発言する英語は、It's not fairだという。フェアという価値基準は、アメリカの社会の基層に存在する重要なものである。

アメリカの授業では、生徒かよく発言し、それをもとに評価されるか、言葉かよくできない日本人がいつもは沈黙しているのに、筆記試験で高得点をとり、良い評価を受けると、同級生はフェアでないといって非難するような例もある。こうなってくるとフェアの基準そのものかわからなくなってくるものだが、アメリカにはいろいろな人種の人々が住み、何かアメリカ的と総括できるか、問題があるが、これまで述べてきた、①自由 ②実力主義 ③個人主義 ④平等と公正に基づく考見方か、一般的な白人系アメリカ人の主な特徴とまとめることができるだろう。では、これらは日本といかに違っているのか? 次では、日本とアメリカの社会、文化の違いを見ていきたいと思う。

日本人とアメリカ人は外見上明らかに違うか、同じ人間であることに変わりはないとも思える。アメリカ人と日本人でも結婚できるし、子どもも生まれ、家庭も維持できる(残念ながら、アメリカ婦人を奥さんに迎えた場合には、離婚する率が高いか)。だから、アメリカで行われていることは日本でも実行できる、と単純化して考えやすい。しかし、日本人とアメリカ人はやはり違う。個人が何に重きを置いて判断し、行動しているかの価値観、行動指針などの個人の基本意識が違うのである。そして、社会は、これらの個人意識の集積によって形成されるがゆえに、それぞれ固有の特徴を持つ。さきでは、アメリカ社会について、マクロ的なとらえ方をしてきた。それを日本社会との比較を念頭に置きながら、個人の意識レベルで再検討してみよう。
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セムの系統では、アブラハムという男がカルデア(メソポタミア)のウルにあらわれ、唯一絶対の神は、彼に移住をうながす。アブラハムは家族をひきっれて旅をし、カナーン人が住む土地に来たとき、神は彼のもとにあらわれて「あなたの子孫にこの土地を与える」と言ったとか。また「へブライ」の語源図びとは「向こう側」の意味で、カナーンからみて、彼らがユーフラテス川の向こう側からやって来たということを物語っている。ちなみにカナーンの地がのちにパレスティナとよばれるようになったのは、前一世紀頃に地中海北部から移動してきたペリシテ人が住んだからである。

ところがアブラハムの家族は、神から土地を示されたのに、おそらく『聖書』の記述からすると前二〇世紀頃、飢饉が起こったからといって、豊かなエジプトへ逃れる。しばらくエジプトで過ごしたあと、彼らはまたカナーンの地にもどり、ようやくアブラハムは子を授かる。まず女奴隷ハガルとのあいだにイシュマエルという男児が、次に妻サライとのあいだにイサクが生まれた。

ここで神はイサクと契約を結び、イシュマエルについては「わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼はこ一人の首長の父となろう」とした。実は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、アダムからこのアブラハムまで、まったく起源が同じなのである。このあと、イスラム教では、アブラハム(イブラーヒーム)と息子イシュマエル(イスマーイール)がメッカのカーバ神殿を建てたとし、アブラハムが祭壇を築いた岩のドームは、預言者ムハンマドが昇天した場所とされた。

さて、イサクの子ヤコブのとき、神はヤコブにあらわれて「お前は神と人と闘って勝った」から「イスラエル」(神の戦士)とよぶ、そして子孫は増え、ひとつの国民になるだろうと言った。「イスラエル」という呼称は、このときにはじまったのである。

ヤコブの子ヨセフの代になって、彼らは再びエジプトに移る。全家族が移動した理由も、カナーンの地が飢饉になったからだった。「乳と蜜の流れる地」と形容されるカナーンでありながら、飢饉になるとエジプトにたよるというのも都合のいい話だ。
やはり問題の核心は、経済ではなく、むしろ国際政治にあるのだ。そして、国際政治における覇権国とは、ほんとうにおそろしい存在なのだ。そうであるからには、以上のような議論はすべて愚痴にすぎず、展開してみても、はじめからすべて無駄だったのかもしれない。なぜなら、対日要求が無理難題にはかならないことなど、アメリカ自身、はじめから百も承知のうえだったのかもしれないからである。

日本の経済的台頭は、ある時期、覇権国・アメリカの覇権を脅かしかねないものとして、その逆鱗に触れたのだろう。以後アメリカは、日本の台頭を抑えることに、「戦略」の重点を移したのだろう。ところがお人好しで、みずからの「戦略」を持たない日本は、アメリカの新「戦略」にまんまと乗せられてしまい、むしろそれに積極的に協力しさえした。その結果、アメリカの新「戦略」はおおむね成功しつつある。

しかも悪いことに、たまたまその時期のアメリカが、繁栄期にはなく、そのピークを越した凋落期にあったことが、問題をより厄介なものにしている。ピークを越えれば、言動がどうしても荒っぽくなり、お粗末になるのも、無理はないだろう。

どう考えても日本は、そして私たち日本人は、「アメリカ的なもの」「アメリカ特殊的なもの」に対して、もう少し懐疑的であり、警戒的であったほうがいい。西欧に発し、ある意味ではアメリカで「最高にして最終の段階」にまで発展した近代の個人主義・合理主義は、いまや極北に到達し、深刻な「行きづまり」に直面していることは、否定できないのではないだろうか。

もちろん、「近代の終焉」論はけっして新しい議論ではなく、第二次大戦前にもそれはあり、戦時中にもあった。だがそれは、独りよがりの神がかりの方向に迷走し、日本の悲劇の一因ともなったから、戦後長くタブー視されてきた。しかし、やはり、「火のないところには煙は立たない」のではないだろうか。
ヨーロッパの経済学者たちの間では、産業革命以来、あまりにも科学技術の力に頼りすぎて、人間と自然とを無視し、破壊してきたことに対して、謙虚な気持ちをもって反省し、地球温暖化の問題に真摯に対応すべきだという雰囲気が支配的でした。それに対して、アメリカ、イギリスの経済学者のなかには、地球温暖化の現象そのものを否定し、この問題を真剣に考えようとする人々を柳楡する態度を示している方々もいました。とくに、その中心になっていたのが、イェール大学のウィリアムーノードハウス教授でした。

ノートハウス教授は、アメリカを代表するすぐれた経済学者でしたが、力ーター大統領の時代に、大統領経済諮問委員会のメンバーとして、地球温暖化の問題を担当するようになってから、すっかり変わってしまいました。学者が政治権力に近づいて、学問的にも、人間的にも権力の奴隷になってしまうのをよく見受けます。ノートハウス教授の場合も、その典型的な例としか思えません。

アメリカ政府は、地球温暖化の問題に対して最初から非協力的な態度を取りつづけてきました。その原因は経済的なものです。第一に、アメリカの国内には、石炭の埋蔵量がそれこそ無尽蔵にあって、露天掘で掘り出すことができ、安い費用で燃料として使っています。石炭の燃焼によって、二酸化炭素が大量に排出され、地球温暖化をひきおこすだけでなく、硫黄酸化物などの有毒物質も大量に排出され、さまざまな公害問題の原因ともなっています。しかし、アメリカ経済は、原価の安い石炭に大きく依存しています。その上、石炭の産地はほとんど、きわめて貧しい地域に偏在していて、石炭への依存度が低くなると、これらの貧困地域で深刻な雇用問題がおこるわけです。

第二に、アメリカでは、自動車なしには生活できないようになっています。都市のつくり方も、都市間の交通のおり方もすべて、自動車を利用するということが前提となっています。これまで何度もふれましたように、自動車は公害の横綱といってもよいほど、自然環境を破壊し、社会環境を汚染します。しかも、地球温暖化の問題についても、自動車がその主な原因の一つとなっています。

アメリカ政府が、地球温暖化に対して、消極的な態度をとり、人気安定化のための国際協定についても反対しつづけてきたのも、このような経済的嘔情があるからです。ノートハウス教授のようなすぐれた経済学者が、政治権力に汚染されて、地球温暖化という、将来の世代に大きな被害をりえかねない問題にかんして、学問的逞場を曲げてきたことに対して、私は前々から心にかかっていました。
ローマ会議で、ノートハウス教授は最初から企画に参加していましたが、地球温暖化というのは大した問題ではなく、経済学者にとってはノンープロブレム問題として存在していないのだという発言すらしたのです。この、ノートハウス教授の発注を聞いて、一人のドイツの経済学者がたまりかねて立ち上がり、つぎのように言いました。「もしノンープロブレム」というのなら、なぜ、私たちをここに集めて、地球温暖化にかんする会議を開いたりするのだ」。そのドイツの経済学者はみごとな髭をたくわえた人でしたが、憤憲やる方ないという感じで、ノートハウス教授に語気鋭く詰め寄った光景が印象に残っています。私か提案した比例的炭素税の制度も、大気安定化国際基金の構想も、アカデミックな立場を貫く経済学者の間では賛同する人が多いのですが、政府レベルではなかなか同調を得られません。

スウェーデンは、世界でもっとも自然の美しい国の一つです。何万という美しい湖沼と、それを囲むゆたかな森林に恵まれたスウェーデンはまた、環境保護の面でも、世界でもっとも進んだ国です。スウェーデンの温暖化対策は、強制的手段によるのではなく、経済的な手段を用いたものです。その中心が炭素税です(スウェーデンでは、二酸化炭素税と呼ばれています。)スウェーデンは、一九九一年一月、炭素税の制度を導入しました。世界で最初でした。しかも、その税率は高く、広い範囲にわたって課税されたのです。

スウェーデンの炭素税は、一酸化炭素の排出に対して一トン当たり五〇クローナ(四〇〇〇円)、炭素含有量一トン当たり一五〇ドル二万五〇〇〇円)という高い率でした。当時、アメリカの経済学者か考えていた炭素税は、炭素含有量一トン当たり一〇ドル(一〇〇〇円)とか二〇ドル(二〇〇〇円)に比べて、スウェーデンの炭素税がいかに高いかわかると思います。スウェーデンは同時に、各種燃料に対しても炭素税を導入しました。たとえば、石炭一トン当たり六二〇クローナ(約一万円)、ガソリンですと一リットル当たり〇・五八クローナ(約九円)です。

スウェーデンにつづいて、オランダ、ノルウェーなどごく少数の国々で炭素税の導入が決められましたが、いずれの場合も、スウェーデンほど高率ではなく、またその範囲も限定されていました。炭素税の制度が、国際間の競争という観点からスウェーデンの産業に過重な負担をかけていることになり、一九九三年一月一日から、炭素税の制度に対して、多少の修正がなされました。新しい炭素税の制度は、二酸化炭素の排出に対して、産業用については、一トン当たり八〇クローナ(一二八〇円)に大幅に引き下げられましたが、逆に民生用では、一トン当たり三二〇クローナ(五一〇円)に引き上げられました。炭素含有量一トン当たりですと、産業用が四八ドル(四八〇〇円)、民生用が一八九ドル二万八九〇〇円となります。

各種燃料に対する炭素税も、産業用と民生用によって区別されることになりました。石炭一トンに対して、産業用では二〇〇クローナ(ハ○○円)に引き下げられ、逆に民生用では、八〇〇クローナ(四四〇〇円)に引き上げられました。ガソリンについては、産業用、民生用の区別なく一リットル当たり〇・七四クローナ(約一円)に引き上げられました。スウェーデンでは、炭素税のほかにも、硫黄税、エネルギー税の制度が環境問題の解決を目指して実施されています。
  
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