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ユーロ金利には、米銀の国内預金・CD金利に比して準備預金積立て不要分だけ高い金利が支払い可能である。利息は一年三六〇日計算であり、三六五日の実日数計算にくらべて若干割高となる。また、無担保取引であるため、出し手は常に取り手の信用状況に留意し、あらかじめ取り手銀行別の与信枠額を設定しておくことが多く、カントリー・リスクをも加味することが多い。第一次オイル・ショック後のヘルシュタット、フランクリン両銀行の倒産によるユーロ市場の麻疹時には一時的に日本へのカントリー・リスク配慮上からジャパン・レートと称する特別高率金利を強要されたり、預金引揚げ後再預け拒否などの事例が頻発し、邦銀および日本政府は対応に苦慮した事件はすでに著名である。

資金の受渡しは次の要領で行なわれる。ドルの場合でいえば、取引が完了すると取り手側はニューヨーク所在の銀行の自行ドルロ座を指定し、出し手側は資金をニューヨーク所在銀行の自行ドルロ座より引き出して、指定口座へ振込む。返済時は、期日にはとくに指定がなければ取り手は元利合計額を逆のコースで返済することとなる。ユーロ円の場合でいえば、取り手は三菱銀行本店の自行円勘定を指示し、出し手は三井銀行本店所在の自行円勘定より引き出し、三菱銀行本店へ払込むこととなり、返済時はとくに変更・指示が出し手よりなければ元利金は逆コースにて返済される。
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開発目標をいちはやく達成すべく、官僚テクノクラートが経済政策を立案・施行し、資本主義的運営を基本としながらも、規制と保護、すなわち「政府介入」が頻繁になされるのが通例であった。NIESIにおいて「開発主義」を標榜する権威主義開発体制が採用された理由は、どこにあったのであろうか。一言でいえば、対外的な危機意識のゆえであった。開発を通じて自国を強国たらしめぬ以上、その存続が危ういという危機意識にうながされて、工業化がかけがえのない国家目標であるという認識がエリートに生まれた。そして、ついでこの認識が広く国民に受容されていった。

かくして、工業化が強い開発主義イデオロギーにまで高まり、これが近代化運動の中核的要素となっていったのである。このような経緯こそが、NIESIというにとどまらず後発国工業化の「プロトタイプ」なのである。この事実を鮮明に示しているのは、ほかならぬ我が日本の経験であった。日本の工業化は帝国主義勢力の「西力東漸」に対抗することによって胎動した。欧米諸国に遅れて工業化をスタートした日本は、欧米と対抗しつつも、資本主義を自国の求むべき「範」とした。資本主義的西欧は、往時の日本に与えられていた唯一の「近代化モデル」であった。しかし明治期日本がこのモデルを現実化すべく発揚したのは、功利主義や個人主義といった欧米的な価値ではなく、精神主義、さらには国家主義に強く傾斜した価値であった。



「第二世代」のPKOが頭打ちになったもう一つの要因は、国連の財政悪化だった。以前からの財政逼迫に加え、急速に広がるPKO派遣に、財政能力が追いつかなくなったのである。もともと国連の会計は、大きく分けて三つに分類される。第一は、国連事務局の人件費や書類の印刷代、会議サービスなどにかかる費用を賄う一般会計だ。第二は、国連平和維持活動に充てるPKO特別会計。もう一つは、人道、開発などの活動費用だ。このうち一般会計は、通常予算とも呼ばれ、二年を一会計年度として国別に配分している。この分担金の負担率は、国内総生産(GDP)の十ヵ年平均をもとに、人口などの要素を加味して分担金委員会が決めている。九二-九三年予算で言うと、この一般会計は二十四億六千八百万ドル、単年度で平均すると、毎年十二億三千四百万ドルになる。これは外務省の年間予算の約五分の一にあたる。

分担率のトップは米国で、上限の二五%を負担している。九二年からは、日本が第二位の二十四%を占め、それまで二位だった旧ソ連、ロシアを抜いた。これは、旧ソ連の解体にもよるが、国内総生産の相対的な低下に対応した動きだ。ロシアは九二年に九・四一%、九三-九四年には六・七一%と、年々負担率は低くなりつつある。これに続いてドイツ(九三-四年で八・九三%)、フランス(同六・〇%)、英国(同五・〇二%)、イタリア(同四・二九%)などとなっている。この上位七力国だけで、合計は六八・四%にも達する。言い換えれば、国連の通常予算は、わずか七力国が七割近くを負担している計算になる。
こうしたメガトレンドの変化が進展してゆく中で、日本企業の賃金や雇用そして人材活用の戦略はどのような変革を求められるだろうか。まず賃金について言えば、これまでのような定期昇給を軸とした年功型の賃金管理は限界にぶつからざるを得ない。高齢化の進展の下で企業の労務構成がピラミッド型からズッドウ型あるいは頭デッカチ型になるにつれて、自動的な定期昇給は企業にとって固定費的負担をいたずらに増やすことになるからである。

昇給は横ならびの悪平等ではなく、個人の能力や成果を大きく反映したものになるだろう。それは賃金の費用効果の増大、技術の変化、働く人々の独創性の刺激などの観点からも望ましい。しかし、このような能力や成果を重視した賃金管理を適切に行えるかどうかの重要な鍵は公正で厳密な能力の評価ができるかどうかに大きくかかっている。能力評価はこれからの人事管理の最も重要な課題となるだろう。

また昇給カーブのあり方も大きく変わることになるだろう。これまでの年功的賃金管理の下で、昇給は長い雇用期間における長期の収支を一致させる形で行われてきた。働き盛りの賃金は比較的抑えるかわりに年配になって賃金を高めにすることで定着を促進したのである。

そしてそのような昇給カーブは、作業チームで共通の体験を積みながら組織で情報を共有し、蓄積し、それによって品質と生産効率の向上をはかるという技術システムの下では、組織の学習効果にも合致する面があり、生産面から見てもそれなりに合理的だった。また、日本の社会の資本ストックが乏しく住宅などの生活インフラが不足していた発展途上段階では、長い期間企業で勤め上げればやがて住宅が持てるという意味でも社会的な合理性があった。

しかしながら、これらの背景条件は日本経済の発展と成熟化の下で大きく変化してきている。雇用機会が相対的にふえて転職がしやすくなってきたため若い働きざかりの人々は働きに応じた賃金を求めるようになっており、技術パラダイムが情報化の進展の下で変化し、集団の能力だけでなく個人の能力がますます問われるようになっている。また、住宅ストックが増え、一生かかって住宅を入手するよりも少くとも大都市では上手に家を借りる方が合理的な生き方暮し方であるという条件が整いつつある。

前述したように、こうした雇用方式の下で、もっぱら男子の新卒者に採用の焦点を合わせつづけていると、いたずらに採用のコストが高くなり、また歩止りも悪く、ムダも多い。他方、人口の高齢化が進んで中高年労働力のストックがますます増えつつあり、さらに、女子労働力の人的資源の蓄積が豊富になっている。

合理的な企業家なら相対的に稀少になっていく男子若年労働力のみに頼ることなく、供給の比較的豊富な中高年労働力や女子労働力を適切に組合せて活用する方が経済的にコストがより安く、生産的効果が大きくなる事にすぐ気がつくはずである。しかも、そうした雇用の組合せは社会的にもより多くの支持が得られ、歓迎されるはずである。なぜならば、それは社会的に見てよりノーマライズ(正常な形の)された雇用だからである。

社会は老若男女で構成されている。これにくらべて、これまでの日本企業の雇用はもっぱら若年者と壮年男子から成るきわめて偏った構成だった。雇用のノーマライゼーションとは、社会の人口構成と同じような組成に、企業の雇用を編成しなおすことである。社会や家庭では、夫と妻、父親と母親、親と子など、老若男女がさまざまな形で役割を分担し合って共同生活をするのがふつうであり正常な姿である。

そうであるとすれば、企業の労働力の構成がそうなることは少しも不思議ではなく、むしろ当然の事なのである。同じ企業で、同じ職場で、男子と女子、高齢者と若年者がお互いの特性を生かして一緒に働き、またお互いに助け合ってチームワークを生かして企業活動を進めてゆくという姿があって良い。

社会の人口構造が大きく変化してくるこれからの産業社会では、そうしたメガトレンドの変化を背景に企業の雇用のあり方も大きく変容することになるだろうし、またならざるを得ないだろう。なぜなら、それは社会的に支持されるだけでなく、資源の有効活用を追求する経済合理性の観点から見ても望ましい方向だからである。

しかしながら、そうした方向を実現してゆく過程では実務的に多くの問題が出てくることは避けられない。これからの雇用管理の大きな課題はそうした制度調整の問題をいかに合理的に解決して効率の高い雇用編成を行い人材の有効活用をはかるかという事になるだろう。その具体的内容については後で述べる事にしたい。
  
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