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悪しきアメリカニズム
やはり問題の核心は、経済ではなく、むしろ国際政治にあるのだ。そして、国際政治における覇権国とは、ほんとうにおそろしい存在なのだ。そうであるからには、以上のような議論はすべて愚痴にすぎず、展開してみても、はじめからすべて無駄だったのかもしれない。なぜなら、対日要求が無理難題にはかならないことなど、アメリカ自身、はじめから百も承知のうえだったのかもしれないからである。
日本の経済的台頭は、ある時期、覇権国・アメリカの覇権を脅かしかねないものとして、その逆鱗に触れたのだろう。以後アメリカは、日本の台頭を抑えることに、「戦略」の重点を移したのだろう。ところがお人好しで、みずからの「戦略」を持たない日本は、アメリカの新「戦略」にまんまと乗せられてしまい、むしろそれに積極的に協力しさえした。その結果、アメリカの新「戦略」はおおむね成功しつつある。
しかも悪いことに、たまたまその時期のアメリカが、繁栄期にはなく、そのピークを越した凋落期にあったことが、問題をより厄介なものにしている。ピークを越えれば、言動がどうしても荒っぽくなり、お粗末になるのも、無理はないだろう。
どう考えても日本は、そして私たち日本人は、「アメリカ的なもの」「アメリカ特殊的なもの」に対して、もう少し懐疑的であり、警戒的であったほうがいい。西欧に発し、ある意味ではアメリカで「最高にして最終の段階」にまで発展した近代の個人主義・合理主義は、いまや極北に到達し、深刻な「行きづまり」に直面していることは、否定できないのではないだろうか。
もちろん、「近代の終焉」論はけっして新しい議論ではなく、第二次大戦前にもそれはあり、戦時中にもあった。だがそれは、独りよがりの神がかりの方向に迷走し、日本の悲劇の一因ともなったから、戦後長くタブー視されてきた。しかし、やはり、「火のないところには煙は立たない」のではないだろうか。
日本の経済的台頭は、ある時期、覇権国・アメリカの覇権を脅かしかねないものとして、その逆鱗に触れたのだろう。以後アメリカは、日本の台頭を抑えることに、「戦略」の重点を移したのだろう。ところがお人好しで、みずからの「戦略」を持たない日本は、アメリカの新「戦略」にまんまと乗せられてしまい、むしろそれに積極的に協力しさえした。その結果、アメリカの新「戦略」はおおむね成功しつつある。
しかも悪いことに、たまたまその時期のアメリカが、繁栄期にはなく、そのピークを越した凋落期にあったことが、問題をより厄介なものにしている。ピークを越えれば、言動がどうしても荒っぽくなり、お粗末になるのも、無理はないだろう。
どう考えても日本は、そして私たち日本人は、「アメリカ的なもの」「アメリカ特殊的なもの」に対して、もう少し懐疑的であり、警戒的であったほうがいい。西欧に発し、ある意味ではアメリカで「最高にして最終の段階」にまで発展した近代の個人主義・合理主義は、いまや極北に到達し、深刻な「行きづまり」に直面していることは、否定できないのではないだろうか。
もちろん、「近代の終焉」論はけっして新しい議論ではなく、第二次大戦前にもそれはあり、戦時中にもあった。だがそれは、独りよがりの神がかりの方向に迷走し、日本の悲劇の一因ともなったから、戦後長くタブー視されてきた。しかし、やはり、「火のないところには煙は立たない」のではないだろうか。
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