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金融検査の本質と限界
それに対して、「いや弱い者が敗退していってこそ、市場経済の機能が発揮され、社会の進歩もある」との正論は、本音のところでは日本社会において人気がない。池田勇人通産大臣(当時)が言ったと伝えられる「貧乏人は麦を食え」とか「中小企業の一つや二つぐらい」というのは、そういう正論の一例である。

この表現はやや極端であるにしても、日本には社会全体にこのような発想を否定する雰囲気がある。したがって護送船団方式は、少なくともかつては世の中の要請であり、それは政治や行政の重要な役割であった。「政治とは治められる側の気持を汲むこと」(藤沢周平「蝉しぐれ」)などという言葉が、かつては日本人の気を引いたのである。

ただこのようなことを考えすぎると、グローバル化時代の激流に日本経済ごとおし流されてしまうことになる。今はあまり分別くさくならずに、思いきった改革をすべき時期である。市場の力が暴力に化さないよう市場を統御する術を模索するのはその先の段階にしても遅くはない。以下では、これまで時系列的に金融問題、金融行政の動きをふり返るなかで浮かび上かってきたいくつかの問題を、個別にとりあげて論じておきたい。

わが国の金融行政に対する批判の一つに、コーチとアンパイヤーを兼ねている、というのがあった。金融機関と一体になって進める指導行政と、金融機関と対立する立場で厳正な検査をする金融検査とを、同じ大蔵省でやるのはおかしい、というのが大蔵省分割論の原点であった。

しかし実際のところ、指導行政と金融検査を分離することには無理がある。たしかに行政の切り口に違いはあるが、相互の経験と情報を共有し合うことによって初めて、効率的な行政を行うことができる。専門的知識を持ちながらも視野の広い行政官を育成するためにもそれが望ましい。
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