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対外的な危機意識
開発目標をいちはやく達成すべく、官僚テクノクラートが経済政策を立案・施行し、資本主義的運営を基本としながらも、規制と保護、すなわち「政府介入」が頻繁になされるのが通例であった。NIESIにおいて「開発主義」を標榜する権威主義開発体制が採用された理由は、どこにあったのであろうか。一言でいえば、対外的な危機意識のゆえであった。開発を通じて自国を強国たらしめぬ以上、その存続が危ういという危機意識にうながされて、工業化がかけがえのない国家目標であるという認識がエリートに生まれた。そして、ついでこの認識が広く国民に受容されていった。

かくして、工業化が強い開発主義イデオロギーにまで高まり、これが近代化運動の中核的要素となっていったのである。このような経緯こそが、NIESIというにとどまらず後発国工業化の「プロトタイプ」なのである。この事実を鮮明に示しているのは、ほかならぬ我が日本の経験であった。日本の工業化は帝国主義勢力の「西力東漸」に対抗することによって胎動した。欧米諸国に遅れて工業化をスタートした日本は、欧米と対抗しつつも、資本主義を自国の求むべき「範」とした。資本主義的西欧は、往時の日本に与えられていた唯一の「近代化モデル」であった。しかし明治期日本がこのモデルを現実化すべく発揚したのは、功利主義や個人主義といった欧米的な価値ではなく、精神主義、さらには国家主義に強く傾斜した価値であった。



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