忍者ブログ

   
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

鈴木忠志の『リア』への接近が主として〈病院のなかの孤独な老人〉のイメLンによっているのに対して、細川俊夫の『リア』への接近は、主として〈荒々しい大自然のなかでの人間の孤独〉によっている、と言っていいだろう。そして、この両者の世界が交錯し響きあうところに、『オペラーリアの物語』のなによりの成果があったと思う。日本人の手になり世界に通用する本格的な室内オペラの誕生を喜びたい。

さて、もう一本の岸田理生台本、オンーケンセン演出の『リア』であるが、これについては、私か観る前から惹かれたのは、アジア六カ国の俳優やダンサーが出演するということであった。もっとも、一方では、そのような企画として、果たしてシェイクスピア原作の『リア王』が適切かどうか、この素材を台本の岸田や演出のオンーケンセンがどれだけ有効に料理できるだろうかという不安もあるにはあった。しかし私は、なによりもこの舞台に細部の仕上がりではなく、アジアの演劇人たちのエネルギーとぶつかり合いが生む可能性を観たいと思った。

一般に劇評家の評価には批判的なものが多かったらしいが、聞くところによると、そもそも観点や期待するところが相当違うようであった。舞台は無造作だったり、荒っぽかったりするところはあっても、私には、なかなか面白かった。その第一の理由は。ゴネリル役のジヤンーチー・フー(京劇俳優)がおどろくべきパワーを発揮して、この劇の基軸を形づくったことにある。この演技だけでも十分観るに値した。

第二には、〈忠義者〉役のザヒムーアルバクリ(マレーシア)、《家来》役のアブドゥルーガニーカレム(シンガポール)、それに《家来の影法師たち》を演じたインドネシアのダンサーたちの切れ味のいいパフォーマンスが、全体をダイナミックで拡がりのあるものにしていたことである。それにしても、演出家のオンーケンセンをはじめ東南アジアにこれだけのパワーが育ってきていることに、私自身を含めて日本人はもっと目を向けるべきだと思った。十分意味のある企画なのだから、国際交流基金も自信を持ってさらにこういう仕事をして欲しいと思う。

PR
中国のこのような「国学熱(国学ブーム)」には、七〇後、八〇後世代の存在が大きく関わっている。一九七〇~八〇年代生まれの彼らは、文化大革命の影響もあり、国学全般についてきちんと学ぶ機会を得られなかった。そのまま二〇代、三〇代を迎えた彼らの国学への学習意欲は非常に高く、現在の国学熱の牽引役となっているとも言われている。また国学熱の背景には、中国の急速な経済発展があることも忘れてはならない。経済大国として世界に認められ、生活にゆとりが出てきたことが、人々の中に自国の伝統文化に対する誇りや関心を芽生えさせるきっかけになったのは間違いないだろう。また、二〇〇八年の北京五輪、二〇〇九年の建国六〇周年、そして二〇一〇年の上海万博など、愛国心全局揚させる一大イベントが続いたこともブームを後押ししたと言える。

国学熱は、さまざまなメディアにも波及している。二〇〇六年に放映が始まった中国中央電視台(CCTV)の番組『百家講壇』は、著名学者たちが『論語』『孟子』などの経典をわかりやすく解説する講義番組で、国学熱に拍車をかけた。この番組の講師の一人で、美人論語研究者としても話題の北京師範大学・于丹教授は、『論語心得』や『論語力』などの著作を次々と発表。現代の中国に照らしながら論語の世界を紹介する手法が共感を呼び、著作が大ベストセラーになるなど、「于丹現象」という社会現象を巻き起こしている。また、ドラマや映画でも国学を題材にした作品が相次いで制作されている。二〇一〇年には孔子の人生を描いた歴史超大作映画『孔子』が人気俳優の周潤発主演で制作され、話題を呼んだ。

また、国学の中でもとくに人気の高い『三国志』もテレビドラマ化。じつは一九九〇~九四年にも一度ドラマ化されていたのだが、いまほど国学熱が盛り上がっていなかったためか、それほど話題にはならなかった。しかし二〇一〇年版は、台湾の有名俳優を起用したり、ストーリーを大胆にアレンジしてキャラクターの心情をていねいに描くなどの演出が好評を呼び、前作をはるかに上回る大ヒットを記録したという。社会主義市場経済下の急速な経済発展という時代を迎え、中国の人々はいま、新しい価値観を求めているのかもしれない。国学ブームには、人々にはびこる拝金主義やモラル意識の低下、政治腐敗に対するアンチテーゼという側面もあるのだろう。それを象徴するように、国家主席の胡錦濤氏は二〇〇六年、孔子の教えにも通じる社会主義栄辱観「八栄八恥」という道徳規範を発表した。これは、社会倫理の向上を目指しているという。「和諧社会」(平等で調和の取れた社会)というスローガンを掲げる胡錦濤氏にとって、孔子の教えは社会の安定化を図る際の屋台骨になり得る頼もしい味方なのである。

そんな中、二〇一一年一月には北京の天安門広場の東側に位置する中国国家博物館前に高さ約一〇メートルの巨大な孔子像が設置された。ところが不可解なことに、その孔子像はわずか三ヵ月後に突然、広場から姿を消してしまったのだ。天安門広場という政治的に敏感な場所で平和や調和の象徴ともいえる孔子像が撤去されたことから、「中国は再び左傾化していくのでは?」「中国共産党の保守派と改革派に権力闘争があったのでは?」などと、さまざまな憶測が飛び交ったと言われている。政治的なイデオロギーに翻弄されてきた孔子の受難は、今後もまだまだ続きそうだ。新世代の若者としてこれまで注目されてきた八〇後に続き、数年前から「九〇後」という言葉がマスコミなどでさかんに聞かれるようになった。九〇後とは、一九九〇年代二九九〇~九九年)に生まれた若者たちのこと。これからの中国の消費文化を支える新たな層として、彼らには各方面から熱い視線が集まっている。

ともに「一人っ子政策」のもと、改革開放後に生まれたという点で共通している八〇後と九〇後。両者の間には、いったいどのような違いがあるのだろうか? 一九七九年に始まった一人っ子政策の第一世代である八〇後は、両親や祖父母の愛情を一身に受けて過保護に育ち、そのわがままぶりが注目を集めた。八〇後の家庭での傍若無人なふるまいを鄭楡した「小皇帝」という流行語が生まれたほどだ。ところが、第二世代と言える九〇後は、そんな八〇後よりさらに自己主張が強く、自由で新しい感覚を持った人々であると言われている。現時点で小学校高学年から大学生に属している九〇後は、改革開放が軌道に乗り、・急成長する経済を背景に育った子どもたちだ。もちろん、文化大革命(一九六六~七六年)や天安門事件(一九八九年)のような政治的な混乱も知らない。

北朝鮮は、政治的・経済的・思想的な援軍であった社会主義体制の国々が崩壊し、続いて起きた自然災害と強引な発展の限界、そして権力継承のはざまでの国内外の危機によって、これ以上既存の党‐国家体制を維持することができなかったのである。一九九〇年代に襲った危機状況の中で、北朝鮮の国家目標は体制維持と経済発展であった。そうした国家目標を達成するため制度的に軍を前面に立て、行政・経済事業において党・政分離を図ったのである。キムーイルソン時代の、党の一方的な優位に基づく党‐国家体制は、キムージョンイル時代に入って、党が国内統合と体制の結束のシンボルとしての政治思想的陣地を、軍が体制保障のための軍事的陣地を、行政が経済発展のための経済的陣地を、それぞれほとんど排他的に担当するものとなった。いってみれば、相対的な党優位の下での党‐軍―政役割分担体制に変わったのである。現在は体制保障が経済発展よりさし迫った課題であるため、軍が政より高い位置にある。

では、キムージョンイル時代に構築された権力構造は、今後も持続するだろうか。北朝鮮の権力構造は、その時その時の危機のあり方と対応していると考えられる。キムージョンイル時代がスタートしてからI〇年が過ぎた。しかしこの間、北朝鮮の危機状況が変化し改善されたかと問われると、イエスとは答え難いのが実情だ。北朝鮮の核問題をめぐる米朝間の葛藤は相変わらず続いており、苦難の行軍が終わり実利を追求する七・一経済管理改善措置が断行されたけれど、経済難から脱却する兆しは見えていない。ただ、国内統合と体制結束の面だけは多少安定的といえよう。

こうして、この一〇年間で北朝鮮の耐久力の相当部分がそこなわれ、社会全体の軍事化を招いた「緊張体制」は来るところまで来てしまった状況だ。これは北朝鮮が直面した安保危機と経済危機が相反する関係にあるためである。北朝鮮は、この関係を「先軍の実利社会主義」で突破しようとしたが、先軍と実利が根本的に矛盾することから、先軍と実利が相互に縛りあって迷宮から脱することができないのだ。北朝鮮の権力構造の再編と政策変化のカナメとなるのは、核問題に対する前向きな態度と、その反対給付である経済改革のための友好的な環境にほかならない。多少楽観的な展望ではあるが、紆余曲折の中でも北朝鮮の核問題が平和的に解決されれば、北朝鮮は改革・開放を加速させるために内閣責任制を強化し、経済発展を推進するだろう。

だが、ここで問題となってくるのが先軍政治だ。最近、北朝鮮が先軍政治を先軍思想に格上げして社会全体の「先軍思想一色化」を図ろうとしているが、先軍政治を維持するための条件が「帝国主義が存在すること」だという点を考えてみるとこれは問題であるし、緊張体制を維持するための費用もあなどれない額にのぼる。すると、北朝鮮は核問題が解決された後でも先軍政治を維持するのだろうか。そして、北朝鮮が核問題の解決と引き換えに米国に体制を保障してもらったとして、それでも、「米帝国主義」という見方を放棄しないのだろうか。これまで北朝鮮の体制維持と国内統合のカナメは反帝国主義だったのだから、これに対する明確な答は出ようがない。

北朝鮮が反帝国主義路線を完全に放棄することを期待するのは難しい。反米・反日など具体的な対象を名指しした反帝国主義よりは、帝国主義を抽象化して一般的な意味で反帝国主義路線を掲げる可能性が高い。代わりに帝国主義の対抗概念である民族主義を、南北間交流・協力の発展レベルに合わせて強化していくと見られる。こうした兆しは、二〇〇四年の新年共同社説において、北朝鮮に限定していた「わが民族第一主義」を朝鮮半島全体に拡大したことでも確認できる。よって核問題が解決された場合、先軍政治は変化した形で持続されるだろうが、北朝鮮社会で占める比重が軽くなり、人民軍隊も北朝鮮社会を主導する「革命的な軍」から徐々に軍本来の任務に集中する「職業的な軍」へと性格転換を試みるだろう。

平成一九年三月に国会に提出された労働基準法改正案では、月八〇時間を超える時間外労働について割増率を五〇%に引き上げるとともに、その範囲の時間外労働についての追加分(二五%分)の割増賃金について、労使協定により、割増賃金に代えて有給の休暇を与えることができるなどの内容が盛り込まれていましたが、現在まで成立するには至っていません。労働基準法上は、時間外・休日割増賃金を支払う義務があるのは、労働基準法の最低基準を超える時間外労働や休日労働をさせた場合です。したがって、法律の範囲内の所定外労働や休日労働(週二日の休日のうち一方の休日に労働させた場合など)については、割増賃金の支払いは法律上は不要ですが(ただし、それにより週四〇時間を超えるかどうかなどには注意が必要です)、就業規則などにより割増賃金の支払いが定められていることも少なくありません。

割増賃金の計算は複雑になりますので、概要のみ紹介します。基本は、まず、通常の労働時間または労働日の賃金を計算して、それに割増率を掛け、時間外労働数や休日労働数をさらに掛けることです。通常の労働時間の賃金をどう計算するかは、労働基準法施行規則一九条に定められています(月給の場合は、月給額を月の〈平均〉所定労働時間で割って時間額を算出します)。なお、家族手当、通勤手当、住宅手当、賞与など臨時に支払われる賃金その他については、通常の労働時間の賃金等から除外して計算します。

労働時間の原則は、一週四〇時間および一日八時間ですので、ある週の労働が四〇時間を超えた場合、あるいは、ある日の労働が八時間を超えた場合は、他の週や日の労働時間がいかに短くとも、直ちに時間外労働が成立し、労働基準法違反を免れるためには、先にみた三六協定の締結などの手続をとらなければならず、割増賃金の支払いも必要になります。しかし、サービス経済化の進展などにより、より弾力的な労働時間の配分を円滑に進めることができる枠組みが必要となりました。そこで、一九八七年以来、従来から存在した変形労働時間制が拡充され、また、フレックスタイム制などの新たな労働時間制度が生まれました。

この変形労働時間制とフレックスタイム制の共通点は、労働時間規制を、一日や一週単位で行うのではなく、週あたりの平均労働時間によって行う点です。なお、それ以外に、裁量労働制という制度も導入されましたが、これは、労働時間の計算を、実労働時間ではなく、労使協定などで定めたみなし時間で行うものです。まず、変形労働時間制は、一定の期間(単位期間)における週あたりの平均労働時間が四〇時間を超えないこと、および所定労働時間を特定することを条件に、一週の労働時間の上限が四〇時間を超えたり、一日の労働時間の上限が八時間を超えたりすることを認める制度です。

この制度は、時期によって業務の繁忙に差がある場合などによく用いられます。たとえば、月初めと月末は忙しいものの、それ以外は比較的余裕のある事業で、月初めと月末に労働時間を多く配分し、それ以外については労働時間を少なくすることが考えられます。このような場合に変形労働時間制を利用すれば、月初めと月末に時間外労働が発生することを防ぐことができ、三六協定の締結や時間外割増賃金の支払いは不要となります。他方で、それ以外の労働時間を短縮し、総労働時間の増加を抑えることもできるのです。

例えば、そのひとつにPERT(Program Evaluation Review Technique)と呼ばれる管理手法がある。PERTは、まずプロジェクト全体を細かい工程に分解し、それらを時系列で表現する。ある工程は、その前のいくつかの工程が終了しなければ始めることが出来ない、が、そのような制約条件も加味した巨大なチャートとして工程を表現することが出来る。そのチャートを解析することによって、ボトルネックがどこにあるか、工程を短縮するにはどうすればよいか、などを知ることが出来る。PERTで全工程を表現するためには、各工程で必要な資材、工数、所要時間などをあらかじめはっきり数字で表現しなければならない。これこそ「普遍化」に他ならない。ここにシステム工学のポイントがある。巨大プロジェクトとそれが生み出したシステム工学は、技術の普遍化を大きく進めるきっかけとなった。

PERTと並んでよく知られているのが、「コンフィギュレーション管理」という考え方である。これはシステムの設計仕様を初期段階で明示的に定義し、開発が進むにつれて体系的にその修正を行っていく方法である。最初に時間をかけてじっくり計画を練ってきちんと目標を設定することで、今風に表現すると「フロントロ七アイング」であり、「ウォータフォール」である。PERTもコンフィギュレーション管理も、普遍的で明示的な方法に基づいて個別の技術を統合しようとする考え方である。一方、学問的、技術的に優れた指導者は、それぞれの技術を身につけている人間に統合の基盤を求める。技術を担うのはあくまでも生身の人間であると考える。そうなると技術の統合は、人間のチームワークを通して実現する。

これに対しシステム工学によるプロジェクトマネジメントは、逆に技術から人間的な要素を取り去り、ドキュメンテーションとその処理の徹底した定量化と明示性に技術を統合するための契機と可能性を見出す。フォンーブラウンは、第二次世界大戦中のドイツのロケットミサイルVI、V2の開発責任者である。第二次世界大戦後アメリカに請われてミサイルの開発に従事し、その後新設された宇宙飛行センターの所長としてアメリカの宇宙開発で重要な役割を演じた。マーシャル宇宙飛行センターは、フォンーブラウンが連れてきたドイツ人たちが主要な位置を占め、彼のりIダーシップのもとで人間を基盤とするプロジェクトのマネジメントを行った。

フォンーブラウンは、技術力をそれぞれの研究者、技術者の経験を通して養われた個性的な能力と考え、ドキュメンテーションでは決して表現しつくすことは出来ないものと信じていた。したがって、システム工学に基づく管理体系と手法を押しつけてくる米航空宇宙局(NASA)のやり方には強く反発したようである。しかしシステム工学の重要性はよく理解しており、マーシャル宇宙飛行センターも後期に至ってはシステム工学的な管理が優勢となった。一方、アポロ計画でシステム工学的手法を推進したのが、計画室長のジョセフーシェアである。この管理手法は一時期NASAの支配的な文化となる。

システム工学の手法を用いてプロジェクトの進行を明示するシェアのやり方は、プロジェクトを外に向けてアピールするのに役立ち、航空宇宙関連の予算を獲得するのに大いに貢献したとのことであかOフォン・ブラウンとシェアは、「技術を担うのは人間か、システムか」について何度も激しい論争を繰り返したことはよく知られている。シェアは一九六七年にケネディ宇宙センターで発生した宇宙船の火災の責任をとって辞任し、後を継いだジョージーロウはシェアのシステム工学による管理を大きく緩め、人間関係を重視するマネジメントに切り替えた。これはロウの考え方からきたと言うよりは、アポロ計画が宇宙飛行や運用体制など人間的な要素を重視しなければならない段階に差しかかったからである。



  
カテゴリー
Copyright ©  -- 21世紀の新しい農業について --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]