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生粋のデジタル世代
中国のこのような「国学熱(国学ブーム)」には、七〇後、八〇後世代の存在が大きく関わっている。一九七〇~八〇年代生まれの彼らは、文化大革命の影響もあり、国学全般についてきちんと学ぶ機会を得られなかった。そのまま二〇代、三〇代を迎えた彼らの国学への学習意欲は非常に高く、現在の国学熱の牽引役となっているとも言われている。また国学熱の背景には、中国の急速な経済発展があることも忘れてはならない。経済大国として世界に認められ、生活にゆとりが出てきたことが、人々の中に自国の伝統文化に対する誇りや関心を芽生えさせるきっかけになったのは間違いないだろう。また、二〇〇八年の北京五輪、二〇〇九年の建国六〇周年、そして二〇一〇年の上海万博など、愛国心全局揚させる一大イベントが続いたこともブームを後押ししたと言える。
国学熱は、さまざまなメディアにも波及している。二〇〇六年に放映が始まった中国中央電視台(CCTV)の番組『百家講壇』は、著名学者たちが『論語』『孟子』などの経典をわかりやすく解説する講義番組で、国学熱に拍車をかけた。この番組の講師の一人で、美人論語研究者としても話題の北京師範大学・于丹教授は、『論語心得』や『論語力』などの著作を次々と発表。現代の中国に照らしながら論語の世界を紹介する手法が共感を呼び、著作が大ベストセラーになるなど、「于丹現象」という社会現象を巻き起こしている。また、ドラマや映画でも国学を題材にした作品が相次いで制作されている。二〇一〇年には孔子の人生を描いた歴史超大作映画『孔子』が人気俳優の周潤発主演で制作され、話題を呼んだ。
また、国学の中でもとくに人気の高い『三国志』もテレビドラマ化。じつは一九九〇~九四年にも一度ドラマ化されていたのだが、いまほど国学熱が盛り上がっていなかったためか、それほど話題にはならなかった。しかし二〇一〇年版は、台湾の有名俳優を起用したり、ストーリーを大胆にアレンジしてキャラクターの心情をていねいに描くなどの演出が好評を呼び、前作をはるかに上回る大ヒットを記録したという。社会主義市場経済下の急速な経済発展という時代を迎え、中国の人々はいま、新しい価値観を求めているのかもしれない。国学ブームには、人々にはびこる拝金主義やモラル意識の低下、政治腐敗に対するアンチテーゼという側面もあるのだろう。それを象徴するように、国家主席の胡錦濤氏は二〇〇六年、孔子の教えにも通じる社会主義栄辱観「八栄八恥」という道徳規範を発表した。これは、社会倫理の向上を目指しているという。「和諧社会」(平等で調和の取れた社会)というスローガンを掲げる胡錦濤氏にとって、孔子の教えは社会の安定化を図る際の屋台骨になり得る頼もしい味方なのである。
そんな中、二〇一一年一月には北京の天安門広場の東側に位置する中国国家博物館前に高さ約一〇メートルの巨大な孔子像が設置された。ところが不可解なことに、その孔子像はわずか三ヵ月後に突然、広場から姿を消してしまったのだ。天安門広場という政治的に敏感な場所で平和や調和の象徴ともいえる孔子像が撤去されたことから、「中国は再び左傾化していくのでは?」「中国共産党の保守派と改革派に権力闘争があったのでは?」などと、さまざまな憶測が飛び交ったと言われている。政治的なイデオロギーに翻弄されてきた孔子の受難は、今後もまだまだ続きそうだ。新世代の若者としてこれまで注目されてきた八〇後に続き、数年前から「九〇後」という言葉がマスコミなどでさかんに聞かれるようになった。九〇後とは、一九九〇年代二九九〇~九九年)に生まれた若者たちのこと。これからの中国の消費文化を支える新たな層として、彼らには各方面から熱い視線が集まっている。
ともに「一人っ子政策」のもと、改革開放後に生まれたという点で共通している八〇後と九〇後。両者の間には、いったいどのような違いがあるのだろうか? 一九七九年に始まった一人っ子政策の第一世代である八〇後は、両親や祖父母の愛情を一身に受けて過保護に育ち、そのわがままぶりが注目を集めた。八〇後の家庭での傍若無人なふるまいを鄭楡した「小皇帝」という流行語が生まれたほどだ。ところが、第二世代と言える九〇後は、そんな八〇後よりさらに自己主張が強く、自由で新しい感覚を持った人々であると言われている。現時点で小学校高学年から大学生に属している九〇後は、改革開放が軌道に乗り、・急成長する経済を背景に育った子どもたちだ。もちろん、文化大革命(一九六六~七六年)や天安門事件(一九八九年)のような政治的な混乱も知らない。
国学熱は、さまざまなメディアにも波及している。二〇〇六年に放映が始まった中国中央電視台(CCTV)の番組『百家講壇』は、著名学者たちが『論語』『孟子』などの経典をわかりやすく解説する講義番組で、国学熱に拍車をかけた。この番組の講師の一人で、美人論語研究者としても話題の北京師範大学・于丹教授は、『論語心得』や『論語力』などの著作を次々と発表。現代の中国に照らしながら論語の世界を紹介する手法が共感を呼び、著作が大ベストセラーになるなど、「于丹現象」という社会現象を巻き起こしている。また、ドラマや映画でも国学を題材にした作品が相次いで制作されている。二〇一〇年には孔子の人生を描いた歴史超大作映画『孔子』が人気俳優の周潤発主演で制作され、話題を呼んだ。
また、国学の中でもとくに人気の高い『三国志』もテレビドラマ化。じつは一九九〇~九四年にも一度ドラマ化されていたのだが、いまほど国学熱が盛り上がっていなかったためか、それほど話題にはならなかった。しかし二〇一〇年版は、台湾の有名俳優を起用したり、ストーリーを大胆にアレンジしてキャラクターの心情をていねいに描くなどの演出が好評を呼び、前作をはるかに上回る大ヒットを記録したという。社会主義市場経済下の急速な経済発展という時代を迎え、中国の人々はいま、新しい価値観を求めているのかもしれない。国学ブームには、人々にはびこる拝金主義やモラル意識の低下、政治腐敗に対するアンチテーゼという側面もあるのだろう。それを象徴するように、国家主席の胡錦濤氏は二〇〇六年、孔子の教えにも通じる社会主義栄辱観「八栄八恥」という道徳規範を発表した。これは、社会倫理の向上を目指しているという。「和諧社会」(平等で調和の取れた社会)というスローガンを掲げる胡錦濤氏にとって、孔子の教えは社会の安定化を図る際の屋台骨になり得る頼もしい味方なのである。
そんな中、二〇一一年一月には北京の天安門広場の東側に位置する中国国家博物館前に高さ約一〇メートルの巨大な孔子像が設置された。ところが不可解なことに、その孔子像はわずか三ヵ月後に突然、広場から姿を消してしまったのだ。天安門広場という政治的に敏感な場所で平和や調和の象徴ともいえる孔子像が撤去されたことから、「中国は再び左傾化していくのでは?」「中国共産党の保守派と改革派に権力闘争があったのでは?」などと、さまざまな憶測が飛び交ったと言われている。政治的なイデオロギーに翻弄されてきた孔子の受難は、今後もまだまだ続きそうだ。新世代の若者としてこれまで注目されてきた八〇後に続き、数年前から「九〇後」という言葉がマスコミなどでさかんに聞かれるようになった。九〇後とは、一九九〇年代二九九〇~九九年)に生まれた若者たちのこと。これからの中国の消費文化を支える新たな層として、彼らには各方面から熱い視線が集まっている。
ともに「一人っ子政策」のもと、改革開放後に生まれたという点で共通している八〇後と九〇後。両者の間には、いったいどのような違いがあるのだろうか? 一九七九年に始まった一人っ子政策の第一世代である八〇後は、両親や祖父母の愛情を一身に受けて過保護に育ち、そのわがままぶりが注目を集めた。八〇後の家庭での傍若無人なふるまいを鄭楡した「小皇帝」という流行語が生まれたほどだ。ところが、第二世代と言える九〇後は、そんな八〇後よりさらに自己主張が強く、自由で新しい感覚を持った人々であると言われている。現時点で小学校高学年から大学生に属している九〇後は、改革開放が軌道に乗り、・急成長する経済を背景に育った子どもたちだ。もちろん、文化大革命(一九六六~七六年)や天安門事件(一九八九年)のような政治的な混乱も知らない。
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