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劇評家の評価
鈴木忠志の『リア』への接近が主として〈病院のなかの孤独な老人〉のイメLンによっているのに対して、細川俊夫の『リア』への接近は、主として〈荒々しい大自然のなかでの人間の孤独〉によっている、と言っていいだろう。そして、この両者の世界が交錯し響きあうところに、『オペラーリアの物語』のなによりの成果があったと思う。日本人の手になり世界に通用する本格的な室内オペラの誕生を喜びたい。
さて、もう一本の岸田理生台本、オンーケンセン演出の『リア』であるが、これについては、私か観る前から惹かれたのは、アジア六カ国の俳優やダンサーが出演するということであった。もっとも、一方では、そのような企画として、果たしてシェイクスピア原作の『リア王』が適切かどうか、この素材を台本の岸田や演出のオンーケンセンがどれだけ有効に料理できるだろうかという不安もあるにはあった。しかし私は、なによりもこの舞台に細部の仕上がりではなく、アジアの演劇人たちのエネルギーとぶつかり合いが生む可能性を観たいと思った。
一般に劇評家の評価には批判的なものが多かったらしいが、聞くところによると、そもそも観点や期待するところが相当違うようであった。舞台は無造作だったり、荒っぽかったりするところはあっても、私には、なかなか面白かった。その第一の理由は。ゴネリル役のジヤンーチー・フー(京劇俳優)がおどろくべきパワーを発揮して、この劇の基軸を形づくったことにある。この演技だけでも十分観るに値した。
第二には、〈忠義者〉役のザヒムーアルバクリ(マレーシア)、《家来》役のアブドゥルーガニーカレム(シンガポール)、それに《家来の影法師たち》を演じたインドネシアのダンサーたちの切れ味のいいパフォーマンスが、全体をダイナミックで拡がりのあるものにしていたことである。それにしても、演出家のオンーケンセンをはじめ東南アジアにこれだけのパワーが育ってきていることに、私自身を含めて日本人はもっと目を向けるべきだと思った。十分意味のある企画なのだから、国際交流基金も自信を持ってさらにこういう仕事をして欲しいと思う。
さて、もう一本の岸田理生台本、オンーケンセン演出の『リア』であるが、これについては、私か観る前から惹かれたのは、アジア六カ国の俳優やダンサーが出演するということであった。もっとも、一方では、そのような企画として、果たしてシェイクスピア原作の『リア王』が適切かどうか、この素材を台本の岸田や演出のオンーケンセンがどれだけ有効に料理できるだろうかという不安もあるにはあった。しかし私は、なによりもこの舞台に細部の仕上がりではなく、アジアの演劇人たちのエネルギーとぶつかり合いが生む可能性を観たいと思った。
一般に劇評家の評価には批判的なものが多かったらしいが、聞くところによると、そもそも観点や期待するところが相当違うようであった。舞台は無造作だったり、荒っぽかったりするところはあっても、私には、なかなか面白かった。その第一の理由は。ゴネリル役のジヤンーチー・フー(京劇俳優)がおどろくべきパワーを発揮して、この劇の基軸を形づくったことにある。この演技だけでも十分観るに値した。
第二には、〈忠義者〉役のザヒムーアルバクリ(マレーシア)、《家来》役のアブドゥルーガニーカレム(シンガポール)、それに《家来の影法師たち》を演じたインドネシアのダンサーたちの切れ味のいいパフォーマンスが、全体をダイナミックで拡がりのあるものにしていたことである。それにしても、演出家のオンーケンセンをはじめ東南アジアにこれだけのパワーが育ってきていることに、私自身を含めて日本人はもっと目を向けるべきだと思った。十分意味のある企画なのだから、国際交流基金も自信を持ってさらにこういう仕事をして欲しいと思う。
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