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竹ペンからキーボードヘ
加えて、その頃国王はかなり頻繁にゴルフを楽しんでおり、工事の進行状況は否応なく国王の目に留まった。それ故に、工事は順調に進み、新国立図書館は三年ほどで立派に完成した。後に人から聞いたところでは、内務大臣はこの新国立図書館を新しいお寺と見なしており、その建設工事を自分か今生で積める最後の、そして最大の善業だと考えていたとのことである。現在ティンプの中心部は、これといった魅力のない数階建ての鉄筋コンクリート構造の建物が雑然と林立しており、ブータンの近代化のマイナス面を象徴する恥部と化している。その北には、それとは対照的にブータンの伝統建築の精髄ともいえるタシチョ・ゾンが建っている。
この辺りには、ティンプの谷最後の水田も維持されており、少しは昔の面影が残っている。また隣接してゴルフ場があり、ティンプとしては例外的に緑が豊かな整備された区域である。国立図書館は、このゴルフ場を見下ろす位置に建っており、ゾンのウツエ形式の四階建ての書庫は、この一帯によくマッチしている。今でもティンプを訪れ、この辺りを通りかかるたびに、この建物の建設に関われたことを喜ぶとともに、自負している。いずれにせよ収納容量十分な書庫が完成し、マイクロフイルム設備および木版印刷用の版木等の害虫処理用煥蒸装置といったハード面は数年で完成し、図書館としての命でもある蔵書整理ができる態勢が整った。
その時点では、数千冊の蔵書は数冊の台帳に収蔵年代順に本の書名と購入時の価格が記されているだけで、書名・著者・分類といった項目からの検索はいっさいできなかった。当時としては、伝統的な図書館カードによる整理が一般的であったが、わたしは一挙にコンピュータによる目録作成に移行するのが、長期的には最も効率的であると判断し、その準備にとりかかった。ところが、当時チベット文字(ブータンの国語はゾンカ語で、チベット語ではないが、文字体系はチベット文字である)で処理できるコンピュータシステムはなく、さらにはブータンでは英語、ネパール語も公用語である以上、ネパール語文献の処理も必要であった。
そこで、多言語・多文字処理能力のあるコンピュータシステムの開発が必須となり、わたしはアップル社のマッキントッシュが最も適していると判断し、アップル社のプログラマーの協力を得てゾンカ語システムの開発を始めることになった。この作業がまた、予想以上に難しく、当初一年ほどで完成できると見込んでいたのが、二、三年と長引いた。そして基本システムは完成しても、新たなフォントの開発、目録のためのデータベースの構築といった課題が次から次に出てきて、結局終わりのない作業であることがわかった。
ところが思いがけずも、このシステムを最初に利用したいと申し出てきたのは政府系の『クェンセル』という週刊紙であった。それまでこの新聞のゾンカ語版は、手動チベット語タイプライター(電動でなかった)で打った原稿を切り貼りして紙面を作り、そこからオフセット印刷していた。一九八〇年代の後半にはその作業では効率が上がらず、新しい編集・印刷方法を模索していたところであった。そこで、ゾンカ語システムが一応の完成を見た一九八八年に一大決心をしてコンピュータを導入し、編集、レイアウト、印刷工程を文字どおり刷新した。他の国では、数十年かけていくつもの段階を経て辿り着いた方式に、手動タイプライター、鋏、糊という手作業から一挙に移行したわけである。これはブータン近代化の象徴的な例である。
ブータン政府観光局 公式サイト
ブータン政府観光局 日本語版公式サイトです。ブータン旅行をご検討の方へ、ブータンについての情報を掲載しています。
この辺りには、ティンプの谷最後の水田も維持されており、少しは昔の面影が残っている。また隣接してゴルフ場があり、ティンプとしては例外的に緑が豊かな整備された区域である。国立図書館は、このゴルフ場を見下ろす位置に建っており、ゾンのウツエ形式の四階建ての書庫は、この一帯によくマッチしている。今でもティンプを訪れ、この辺りを通りかかるたびに、この建物の建設に関われたことを喜ぶとともに、自負している。いずれにせよ収納容量十分な書庫が完成し、マイクロフイルム設備および木版印刷用の版木等の害虫処理用煥蒸装置といったハード面は数年で完成し、図書館としての命でもある蔵書整理ができる態勢が整った。
その時点では、数千冊の蔵書は数冊の台帳に収蔵年代順に本の書名と購入時の価格が記されているだけで、書名・著者・分類といった項目からの検索はいっさいできなかった。当時としては、伝統的な図書館カードによる整理が一般的であったが、わたしは一挙にコンピュータによる目録作成に移行するのが、長期的には最も効率的であると判断し、その準備にとりかかった。ところが、当時チベット文字(ブータンの国語はゾンカ語で、チベット語ではないが、文字体系はチベット文字である)で処理できるコンピュータシステムはなく、さらにはブータンでは英語、ネパール語も公用語である以上、ネパール語文献の処理も必要であった。
そこで、多言語・多文字処理能力のあるコンピュータシステムの開発が必須となり、わたしはアップル社のマッキントッシュが最も適していると判断し、アップル社のプログラマーの協力を得てゾンカ語システムの開発を始めることになった。この作業がまた、予想以上に難しく、当初一年ほどで完成できると見込んでいたのが、二、三年と長引いた。そして基本システムは完成しても、新たなフォントの開発、目録のためのデータベースの構築といった課題が次から次に出てきて、結局終わりのない作業であることがわかった。
ところが思いがけずも、このシステムを最初に利用したいと申し出てきたのは政府系の『クェンセル』という週刊紙であった。それまでこの新聞のゾンカ語版は、手動チベット語タイプライター(電動でなかった)で打った原稿を切り貼りして紙面を作り、そこからオフセット印刷していた。一九八〇年代の後半にはその作業では効率が上がらず、新しい編集・印刷方法を模索していたところであった。そこで、ゾンカ語システムが一応の完成を見た一九八八年に一大決心をしてコンピュータを導入し、編集、レイアウト、印刷工程を文字どおり刷新した。他の国では、数十年かけていくつもの段階を経て辿り着いた方式に、手動タイプライター、鋏、糊という手作業から一挙に移行したわけである。これはブータン近代化の象徴的な例である。
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