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日本的経営の黄金時代
この時期は日本的経営の黄金時代であった。トランジスタラジオの時代とは違って、高級な工業製品でも、その生産量が世界の先頭を行くものが現れた。1980年には自動車の生産台数は1104万台と世界でトップになり、1983年には工作機械の生産額が世界最高となり、その60%がコンピュータ制御によるNC機であった。そしてガットは1984年の日本の工業製品の輸出額は280万ドル、世界の首位に立つと発表した。日本が経済大国ともてはやされたのも無理はない。

しかし日本の経済発展のもう一本の推進軸であった船舶や鋼材やエチレンなどの生産は1970年代以来低迷し、加工産業立国路線は耐久消費財の開発・大量生産により多く依存しなければならなくなった。そのうえ消費者は狭い住宅のなかに各種さまざまな家庭機械類を抱えたため、さらに新商品を買い込むモチベーションは低下せざるを得なくなった。

日本が経済大国と言われた時には、すでにその経済と商品開発には陰がさしはじめていたのである。初めての平和な5ヶ年計画の進行によって、中国の民衆は生活の豊かさを実感しはじめた。1981年のテレビの普及率は都市において100所帯当たり白黒57%、カラー0.4%にすぎなかったが、1985年にはそれぞれ75%、18%に向上し、ラジカセは13%から48%へ、電気洗濯機は6%から53%へと上昇した。

私は1983年に中国全土から集まった研究者を対象に瀋陽の東北工学院で技術論の36時間の集中講義を行ったが、外人用宿舎の私の部屋には国産品のクーラーがついていた。しかし冷凍機がゴウゴウと音をたてて回転するのには閉口した。翌年には青島で、これも全国から集まった各省の科学技術委員会の新任の主任・副主任に対して先端技術の動向について1週間ほど講義したが、宿泊していたホテルにはクーラーは無く、扇風機があった。しかしそれは首振り機構が壊れていた。

肩の痛みの治療のために人民病院に出かけたが、そこの小型扇風機も首を振らなかった。休みの日に観光船に乗って湾を一周したが、その客室の大型扇風機も同じ個所が壊れていた。首振り機構の設計ミスに違いなく、苦情を受け付けるアフターサービスの体制もなかったのであろう。1985年の都市の扇風機の普及率は75%に達していたが、中国の当時の耐久消費財の技術水準は、その風景に端的に示されていた。




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