[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
円為替の導入
円相場の上昇は、弱体化した国内の政治指導力のもとではとても自発的に着手できないような構造変革を、日本の経済社会に強いることとなった。経済界は、合理化と技術革新とによって国際競争力の強化をはかった後、最近では、生産活動やサービス活動を海外にシフトし、現地製品の輸入を拡大するという方向で対応を進めているが、こうした動きが国内の雇用や企業経営に及ぼす影響は、今後いっそう顕著となるであろう。他方、当局側の対応は、規制面でも政策面でも遅れており、これがいわゆる空洞化にいっそうの拍車をかげている。それでも、円相場の影響あればこそ、国内の構造改革も少しは進行している。
為替相場の変動にもてあそばれることは、決して望ましいことではない。しかし、わが国のような、年とともに自主的変革能力の弱体化している一種の老化社会にとっては、為替相場変動の積極的意義も残念ながらある程度は認めざるをえないのではなかろうか。
戦後長期間にわたり、わが国の通貨当局は、円の国際的利用について、消極的ないし制限的な考え方を維持していた。円の国際的利用が増加すれば、非居住者の円保有残高が増加することになり、わが国当局のコントロールの及ばない要因で残高が変動する可能性が大きい。そのような場合には、わが国は予測不可能な影響を受け、国内の経済政策、とくに金融政策の運営が困難化する、というのが、その論拠であった。したがって、当初、日本円は対外決済通貨として指定されてもいなかった。
しかし、IMF協定上の八条国に移行するためには、欧州諸国並みに剛自国通貨を対外決済に使用すること、円の非居住者保有残高に交換性を付与することが必要とされた。六〇年七月一日、円は対外決済通貨に指定され、同時に非居住者自由円勘定とよばれる外貨交換性の保証された非居住者円勘定の創設が認められた。これが、いわゆる「円為替の導入」である。
これに伴い、日銀に円建期限付手形再割引制度という新しい制度金融が創設されたが、円か輸出入に使用されることはきわめて少なかった。わが国の輸出競争力が弱体だったことにもよるが、第二次大戦後すでに十五年、わが国の貿易が主として米ドルで金融される仕組ができ上がっていたことにも、大きな原因があった。すなわち、ほとんどすべて米ドル建であったかが国の輸入の大部分については、船積書類到着時に邦銀が米銀等から米ドル資金を借り入れて代金を立替払し、一定期間後輸入業者から代金を取り立てる仕組(輸入ユーザンス)が確立していた。一方、輸出については、米ドル建でないとなかなか輸出できないという現実を前提に、輸出手形を米ドル建としたまま、これを引当てに日銀が海外金利にリンクした低金利で円の輸出金融を行うという制度ができ上がっており、これがまた、輸出の米ドル建制を支えることとなった。
為替相場の変動にもてあそばれることは、決して望ましいことではない。しかし、わが国のような、年とともに自主的変革能力の弱体化している一種の老化社会にとっては、為替相場変動の積極的意義も残念ながらある程度は認めざるをえないのではなかろうか。
戦後長期間にわたり、わが国の通貨当局は、円の国際的利用について、消極的ないし制限的な考え方を維持していた。円の国際的利用が増加すれば、非居住者の円保有残高が増加することになり、わが国当局のコントロールの及ばない要因で残高が変動する可能性が大きい。そのような場合には、わが国は予測不可能な影響を受け、国内の経済政策、とくに金融政策の運営が困難化する、というのが、その論拠であった。したがって、当初、日本円は対外決済通貨として指定されてもいなかった。
しかし、IMF協定上の八条国に移行するためには、欧州諸国並みに剛自国通貨を対外決済に使用すること、円の非居住者保有残高に交換性を付与することが必要とされた。六〇年七月一日、円は対外決済通貨に指定され、同時に非居住者自由円勘定とよばれる外貨交換性の保証された非居住者円勘定の創設が認められた。これが、いわゆる「円為替の導入」である。
これに伴い、日銀に円建期限付手形再割引制度という新しい制度金融が創設されたが、円か輸出入に使用されることはきわめて少なかった。わが国の輸出競争力が弱体だったことにもよるが、第二次大戦後すでに十五年、わが国の貿易が主として米ドルで金融される仕組ができ上がっていたことにも、大きな原因があった。すなわち、ほとんどすべて米ドル建であったかが国の輸入の大部分については、船積書類到着時に邦銀が米銀等から米ドル資金を借り入れて代金を立替払し、一定期間後輸入業者から代金を取り立てる仕組(輸入ユーザンス)が確立していた。一方、輸出については、米ドル建でないとなかなか輸出できないという現実を前提に、輸出手形を米ドル建としたまま、これを引当てに日銀が海外金利にリンクした低金利で円の輸出金融を行うという制度ができ上がっており、これがまた、輸出の米ドル建制を支えることとなった。
PR
COMMENT