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介護保険の円滑な実施
そこで各市町村では、条例によって個別相談による「助成金交付の要綱」を作成したり、「無利子貸し付け」などができるようにしている。したがって、この点についてはケアマネージャー、あるいは地域の民生委員に、このような地方条例による助成制度があることをしっかりと周知徹底することが肝要だ。ただしこの助成額は総額としてはかなり小さいものとなるであろう。たとえば人口一〇万人程度の地方都市で、介護保険の財源の総額が三〇億円とすると(図2-4)、自己負担分の総額は最大限で三億円である(実際には限度額目一杯のサービスを使わない人もかなりいる)。サービス利用者のうち二〇%が自己負担分を払いかねるとして、その総額は六〇〇〇万円、その七割を助成するとして四二〇〇万円である。
この程度の都市の年間予算は普通四〇〇億円以上だから、金額的には実に少ない。「バラまき福祉」として評判の芳しくない「敬老見舞金」を廃止するだけでも充当できる金額だ。ただし、この助成については、中間所得階層の市民にも「あなた方の拠出する税の一部で、このような方々の負担軽減をはかることに同意して下さい」という問いかけがあってしかるべきである。ところで自己負担にまつわる懸念を完全に払拭しようとしたら、自己負担をゼロにすればよい。いわゆる「無料化」だ。財源的にはこれは不可能ではない。財源の総額のうち一〇%だけを、保険料と租税に散らして上乗せすればよいだけである。
しかし、およそ世の中で、公費で生産設備を用意し、社会サービスとして市民に普遍的に提供しているもので「無料化」されているものはあるだろうか。電気代、水道代を「無料化」したら、おそらく各家庭で際限ない無駄使いが起こる。このようなサービスにおいては、「応益負担」つまり使った分に応じて、一定割合でコストを負担する。そこから公的サービスについてもコスト意識が生まれて、節度ある利用意識が生まれる。
介護サービスも同様である。措置制度のようなスティグマを一掃し、ニーズを解放することを意図した普遍的なサービスにおいては、効率的で適切かつ節度ある利用のしくみは不可欠である。一定割合の「負担」は、財源の拠出者の観点にたてば、利用者の節度を促すという意味で、積極的に肯定されるべきものだという点は押さえておくべきだろう(ただし、一〇%という負担の割合が適正かどうかの議論はあってよい)。
ちなみに、一九九九年十二月に参議院で、介護保険の円滑な実施のための意見聴取を行う公聴会があった。筆者も参考人として出席したが、この問題に関して同席していた市町村長たちが、「そもそも一万円とか二万円とかの自己負担を払えない所得そのものが問題の根源だ」という回答をしていたが、まったくその通りである。このような市民は、介護保険の自己負担によって生活が脅かされるというよりは、昨日も今日も明日も、極端な低所得のために生活のすべての局面において危機的状況にあるはずだ。問題の本質は所得政策にある。
この程度の都市の年間予算は普通四〇〇億円以上だから、金額的には実に少ない。「バラまき福祉」として評判の芳しくない「敬老見舞金」を廃止するだけでも充当できる金額だ。ただし、この助成については、中間所得階層の市民にも「あなた方の拠出する税の一部で、このような方々の負担軽減をはかることに同意して下さい」という問いかけがあってしかるべきである。ところで自己負担にまつわる懸念を完全に払拭しようとしたら、自己負担をゼロにすればよい。いわゆる「無料化」だ。財源的にはこれは不可能ではない。財源の総額のうち一〇%だけを、保険料と租税に散らして上乗せすればよいだけである。
しかし、およそ世の中で、公費で生産設備を用意し、社会サービスとして市民に普遍的に提供しているもので「無料化」されているものはあるだろうか。電気代、水道代を「無料化」したら、おそらく各家庭で際限ない無駄使いが起こる。このようなサービスにおいては、「応益負担」つまり使った分に応じて、一定割合でコストを負担する。そこから公的サービスについてもコスト意識が生まれて、節度ある利用意識が生まれる。
介護サービスも同様である。措置制度のようなスティグマを一掃し、ニーズを解放することを意図した普遍的なサービスにおいては、効率的で適切かつ節度ある利用のしくみは不可欠である。一定割合の「負担」は、財源の拠出者の観点にたてば、利用者の節度を促すという意味で、積極的に肯定されるべきものだという点は押さえておくべきだろう(ただし、一〇%という負担の割合が適正かどうかの議論はあってよい)。
ちなみに、一九九九年十二月に参議院で、介護保険の円滑な実施のための意見聴取を行う公聴会があった。筆者も参考人として出席したが、この問題に関して同席していた市町村長たちが、「そもそも一万円とか二万円とかの自己負担を払えない所得そのものが問題の根源だ」という回答をしていたが、まったくその通りである。このような市民は、介護保険の自己負担によって生活が脅かされるというよりは、昨日も今日も明日も、極端な低所得のために生活のすべての局面において危機的状況にあるはずだ。問題の本質は所得政策にある。
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