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リーダーの選び方
なぜそれほどに時間がかかったのかというと、現場の人が上司の判断をもらおうとしたが、連絡が取れなくて時間がかかったそうである(NHKの「イブユングネットワーク」の報道による)。市民はしばらくの間、カセイソーダが多く混じった水を使っていたことになる。もしもっと毒性の強い物質が混じっていたらと思うと、ゾッとするようなケースである。北海道のトンネル崩落事故のときも、発破をするという方針が決まるまでに時間がかかりすぎているし、一日にI回しか発破ができないというのも、いかにももどかしい感じがした。発破の方法にも、報道によれば専門家の知識が十分に生かされたかどうか疑問だと言われている。

すなわち「相次ぐ岩盤爆破の失敗を受け、建設省が派遣した爆破や岩盤除去の専門家が到着したのは三回目の爆破一時間半前。しかし開発局には専門家に示す図面すらなかった。対策本部長は北海道開発局の出先機関である小樽開発建設部のさらに下部組織の小樽道路事務所長であり」(『読売新聞』二月十八日付)、「権限が弱く、現地での横の連絡とともに、開発局内での意思決定も遅れがちになった」(『朝日新聞』二月十八日付)。事故後五日目にして開発局建設部長が本部長に交代した。これなどはリーダーの選び方に問題があったとしか思えない。

以上、どの例をとっても、われわれ日本人の危機即応体制に大きな問題があることを示している。いったん事が起こったときには、誰が判断し責任を持って指令を出すのかということがはっきりしていなかったり、その人に連絡が取れないときには次の誰が判断してよいなどという責任体制がはっきりしていない。またはっきりさせなければならないという意識もない。最高責任者のはずの政治家は官僚任せ、官僚は現場任せ、現場は上司の指令待ち、ということでは、誰も責任を持って判断する人がいない。結果は被害者だけが苦しめられるということになってしまう。

こういう不幸なことが起きる原因は二つあると思う。どちらも日本人特有の精神構造ががらんでいる。一つは何もしないことに対してはあまり批判されないが、何かをして失敗すると辞職させられるほどに非難が集中するという体質。厚生省のエイズ対策にしても、大蔵省の住専対策にしても、必要なことをしなかったことに対しては、辞職要求などという形での責任追及はまずなされない。六八五〇億円もの税金を使うことにするのなら、それほどの負担を国民にかけるとなると、当然刑事責任が問題になりそうなのに、借り手や貸し手や監督官庁の刑事責任はなかなか問題にされない。だから責任者はなるべく何もしないという形での保身に走ることになる。

第二は、リーダーの選び方が、人格と能力を基準にしてなされていないという問題。コネや人間関係で選ばれたり、年功序列で地位についていたりする。たとえ能力で選ばれたとしても、その能力が記憶力を中心にした学力だけで、最も大切な判断力と決断力はほとんど考慮されていない。大切な地位には能力のある人を選び、十分に腕をふるってもらおうという意識がないばかりか、逆に能力のある人の足をひっぱったり、いじめたりするという体質が根強い。これは民主主義のはきちがえの悪平等主義も影響しているのであろう。

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